人生

人生の意味について【生きる意味とは】

人生は苦しむことである

私は、高校生になったころから、あまり生きていて楽しいと思わなくなりました。


大学の研究室に所属してから特に、そのツラさからか人生の意味について良く考えるようになり、社会人になった時は人生が何なのか良く分からなくなってしまいました。


次第に、なぜ苦しむために生きなければならないのか、社会は狂っているのではないか、と思うようになりました。


そうなった理由としては、自分の理想と現実のギャップに苦しんだり、思い通りに行かないストレスなどが原因だと考えています。


そんな中、仏教や心理学に関する本を読んで、人生なんてそんなもんか、という気付きを得たので、今回はそんな感じのことを簡単に紹介していきたいと思います。


コロナや戦争、円安などの影響から生きづらい世の中になったと思いますが、記事を読んだ人の心が少しでも軽くなればいいなと思います。

人間が生まれた理由は、海底にたまたまアルカリ性の温泉があったからだ言われているよ。

苦しみとは

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Photo by Zbigniew Bielecki on Pexels.com

今から数千年前、遠い国のある修行僧が悟りを開きました。


人は生まれながらに八つの苦を背負っていると。


八つの苦とは、それぞれ

生:生まれること

老:老いること

病:病気になること

死:死ぬこと

愛別離苦:愛する人と別れること

怨憎会苦:会いたくない人と会わなければいけないこと

求不得苦:欲しいものが手に入らないこと

五陰盛苦:自分自身をコントロールできないこと

と言います。上記の4つを合わせて四苦と言い、その下の4つと合わせて四苦八苦と呼びます。


ここで言う「苦」とは、思い通りにいかないことを示しており、例えば「死ぬこと」や「老いること」が、自分ではコントロールできないことからも理解ができると思います。


つまり、自分の人生は制御不能であり、それをどうにかしようとするから、苦しみが生まれるのです。


ありのままを受け入れる、その胆力が重要なのですね。


ただ、仏陀もその悟りを開くのにかなりの歳月を費やしており、苦行を通して得た経験則なので、ただ文献を読んだだけの我々にはいささかの見込めない話ですね…

世の中思い通りに行かないことだらけだよ。

じゃあ生まれた時点で詰んでいるのでは?

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Photo by Sebastian Voortman on Pexels.com

四苦の中に「生」があるので、「この世に生まれた瞬間に詰んでいる無理ゲーでは?」と感じると思います。


しかし、そもそも人生の目的は苦しみから逃れることではないのです。


大事なことは、生きることは苦しむことと理解した上で、その中で「じゃあどうやって生きていこうか」と考えることなのです。


つまり、苦しみの中でも、どのようにして自分の中で最大の幸福を作っていくかを考えることが人生の意義になるのです。


哲学者のニーチェは、自分の人生を永遠に繰り返しても良いと思える永遠回帰の考えを説いています。


永遠回帰にたどり着くために、人生に対して不平不満を垂れ流す末人でなく、試練を乗り越えた超人になることの大切さをその書籍の中で綴っています。


興味のある人は、ニーチェの書籍にも触れてみて下さい。

苦しいのは大前提なんだね。

過酷な現実

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Photo by Helena Lopes on Pexels.com

どこかの外国の犬が、「配られたカードで勝負するしかない」と言っていました。


生まれ持った遺伝や環境は自分ではどうにもできないけど、だからといって勝負を捨てることは許されません。


どんなにカス手札でも、戦うことを強要され、その勝負に負けた暁には本人の努力不足と非難されてしまうこともあります。


人によって手札が違うのに同じ尺度で比較されてしまう人生は残酷極まりないですが、周りは気にせずあくまでも比較相手は自分自身と考え、頑張っていくしかありません。


世間ではそういった行動を逃げと揶揄してくることがありますが、人は競争をしている間は決して幸せになれません。


他者を気にせず、自分自身のために頑張れた時に初めて、自分のために生きていると言えるでしょう。


一説によると、日本人が他者を気にするようになった原因のひとつに教育体制があります。


幼いころから受験競争を強いられ、規律を破るはぐれ者は罰せられました。


そういった過程を経て、他者と違うことをしたら罰せられるという緊張感を植え付けられたから、人の目が気になってしまうのです。


そのため、多くの人は被害者なのですが、社会はそれを許さないので、なかなか辛辣なシステムになっています…


才能主義の社会では言い訳は一切許されないんだ。

最後に

私は、人生が息苦しいと感じたときに、仏陀や古典哲学の考えに触れ、胸が少し軽くなったことを覚えています。


古典を読んでみると、いつの時代も人が抱える苦しみは一緒なのだと気付かされ、その都度学者たちがその社会システムに警鐘を鳴らして来ました。


苦しいのは自分が弱いからだと思っていましたが、そもそも人生は大前提として苦しいものなのでした。


それでも、少しでもマシな人生に出来るように頑張ることが人生の意義だと気付かされ、今は毎日必死こいて生きています。


これからも挫けることは何度もあると思いますが、頑張っていこうと思います。


同じように現在苦しんでいる人も、肩の力を抜いて、温泉にでも行ってリセットをして、一緒に頑張っていきましょう。

以上、ありがとうございました。

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